別名、山紫陽花とよばれいる七段花は、昔は幻のあじさいでした。

江戸時代後期、近代日本と西洋の橋渡しをした、ドイツ人医師シーボルトがその美しさにひかれ日本の花を紹介した 『Flora Japonica』 の中にしるされてから、ほどなくシチダンカは絶滅したと思われておりました。
その存在が次に確認されるのは、120年ほどかかってからの神戸です。
可憐ではかないその姿は、次々に挿し木されその後全国にひろがったそうです。

この紅白の七段花も、ずいぶん前にお客様に頂戴した物を、女将が育てております。
|
You are using an insecure version of your web browser. Please update your browser!
Using an outdated browser makes your computer unsafe. For a safer, faster, more enjoyable user experience, please update your browser today or try a newer browser.
|
別名、山紫陽花とよばれいる七段花は、昔は幻のあじさいでした。

江戸時代後期、近代日本と西洋の橋渡しをした、ドイツ人医師シーボルトがその美しさにひかれ日本の花を紹介した 『Flora Japonica』 の中にしるされてから、ほどなくシチダンカは絶滅したと思われておりました。
その存在が次に確認されるのは、120年ほどかかってからの神戸です。
可憐ではかないその姿は、次々に挿し木されその後全国にひろがったそうです。

この紅白の七段花も、ずいぶん前にお客様に頂戴した物を、女将が育てております。