天下太平・五穀豊穣を祈念するために宮中で始まったものが競馬の始まりです。
上賀茂神社の競馬は平安時代にさかのぼること約910余年、堀河天皇が宮中武徳殿の競馬会式を当神社に移され、20匹の馬に競馳をさせ、その費用をまかなうため19ヶ国20の荘園を寄進させたことが起源です。
毎年、これらの荘園から野生の馬を一頭ずつ寄進されたことから、現在でもその荘園の名をおっています。
1日に足汰式終え、5日午前には菖蒲根合わせの儀・本殿祭の後、午後1時より競馬会の儀が始まります。
乗尻(騎手)の邸宅から引き連れられ出社した名残で、一旦上賀茂小学校に参集します。さくらいのある社家町の前は、馬の列と見物客でにぎわいます
扶持・乗馬の祓いを修める童子・将来の乗尻候補だそうです
倭文庄(しどりのしょう)
第一の荘園である倭文庄は競馳においては、実は不戦勝なのです
警固衆・馬場の警備にあたるかわいい子供たちです
競馳・昔は野生の馬で競い合ったために、今でも色々な習わしが残っています。
まずスタートですが、今の競馬のようなゲートはありません。スタート地点で馬が内回りにまわって、乗尻の顔があった時がその瞬間です。ですから注意していないとすぐに目の前までやってきます。
また馬場を下見するために九折南下といって九回ジグザグに回ってスタート地点まで赴いたり、スタート地点までたどりついても、3回行ったり来たりして入念に馬場のチェックを行います。
そのため5番の勝負に、2時間を費やす非常にゆったりとしたペースはこびなのですが、前述のように、実際走るのは僅か数分です。威勢の良いかけ声と共に、目にもとまらぬ早さで駆け抜けます
後見・勝負の判定は・・・
結果は赤の勝ちで、今年も豊作が見込まれるとのことです。
初夏とはいえ大変熱いなか大勢の方が奉仕され、この儀式を存続させられることは大変なことだと思います。創始1000年記念まであと90年ほどですが、その頃も変わらぬ風景であって欲しいです。
菖蒲
儀式に臨むものは、神主以下警固の子供に至るまで、腰に菖蒲と蓬(ヨモギ)を飾ります
祭りの後
写真右下は、五代将軍綱吉 の生母「桂昌院」が寄進した菖蒲蒔絵の伊勢鞍皆具です。