皆様明けましておめでとうございます。
いつもいつも不定期で誠に申し訳ありません
さてさて・・・
この平成20年戊子閏年の2008年は
世界最古の長編物語、源氏物語が
記録の上ではじめて確認された
寛弘5年(西暦1008年)からかぞえ
千年を迎えたことになります。
文化遺産としての評価は計り知れませんが、
現在まで残る紫式部の綴った京都の風景の様々を
高校の時に少しだけ・・ほんの少しだけ・・・
かじった古典の訳本たよりに書かせていただきます
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光源氏が22歳の時、
葵祭の前儀として知られる御禊(ぎょけい)に参議として行列に加わりました。
時をきらめく絶世の美男子・源氏を一目見ようと、
都の人たちは身分の上下を問わずたいそうな騒ぎで
すこしでも良い場所で見物しようと早朝から
きれいに装った牛車がびっしり連なったそうです
その車の一つに源氏の愛人、六条御息所が乗っていたのですが
ちょうどその場所に、正室である葵の上が
タイミング悪く遅れてやってきます。
そして六条御息所のいた場所は、
葵の上に横取りされてしまい、
なんと車も壊されてしまったとあります。
そこへ儀式の装束に身を包み、
いつもに増してきらびやかに馬の上にいる源氏が通りかかるのですが
六条御息所は間近で見ることかなわず、
大変悲しみ、くやしく思ったその思いが
葵の上に取り憑き、悲劇が起こります。
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上のように
現代に平安時代の雅を映し出す
初夏の葵祭、この模様を源氏物語「葵の巻」は
詳しく物語っています
ちなみに物語の中では「葵祭(賀茂祭)」と書かずに
単に「祭」と記されいます。
当時「祭」といえば現在の「葵祭(賀茂祭)」をなのだ!
といわんばかりにそれは盛大なものでした。
そしてこのシーンに描かれた御禊は
今も隔年で上下賀茂社にて営まれます。
平安時代の伝統を引き継いだ「斎王代」が
上賀茂神社、御手洗川にかかる橋殿から
ひとがたを流されたときのものです
葵祭の当日15日にはそれほど間近で拝せない斎王代も、
御禊の日は人も少なく
童子など従者を従えた姿を
ゆっくり見物できるのではないでしょうか。
年が明けたばかりというのに
ずいぶん気の早い話で申し訳ございません
本年もどうぞよろしくお願いいたします
(追記です)
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