いつもお読みいただきありがとうございます
大変蒸し暑い日が続いておりますが
梅雨の中休みの今日、
世界文化遺産に指定されたことを記念し発足した
上賀茂神社崇敬会の総会に行って参りました
本殿を参拝の後、
千玄室会長のご挨拶があり
現在、国内外に山積する難題を憂う切実なるお話しをいただき
そして総会の後、
歌人である林和清先生に「源氏物語と賀茂社」と題し
ご講演を頂きました。
同じ「歌」でも手がついて「歌手」と聞くと親しみやすいですが、
・・・・人がついて「歌人」となると・・・
難しくわかりにくいお話しをされるのかと思いきや、
ユーモア溢れるエピソードを織り交ぜ
実に明瞭かつよいお声でお話しいただきした。
源氏物語とは深い縁のある上賀茂神社にピッタリの講演でした
まずなぜ今年が源氏物語千年紀なのかお話し頂きました
平安時代の女性は
生年月日を記録するという習慣がなかったそうで
紫式部について調べても生没年不明とされています。
ではどうして源氏物語が今から千年前の
1008年(寛弘5年)に書かれたと解るかとご説明いただきました。
紫式部日記に・・・
平安貴族の頂点に立った藤原道長(966年~1027年)のむすめが
一条帝の中宮となり王子(のちの後一条天皇)が誕生しました
その誕生50日目にあたる11月1日の御祝いの席での話が下のようにあります。
その宴に同席した有名な歌人である藤原公任(きんとう)が
「恐れ入りますが、このあたりに若紫の君はいらっしゃいますか」と
この旨を尋ねた歌を詠みました
つまり1008年と生年のはっきりした後一条帝の誕生御祝いの時に、
若紫の帖のある源氏物語を著した紫式部はこの宴にいますか?
と尋ねたと日記に記されています
このことから1008年11月1日には
すでに源氏物語がある程度出来上がっていたとのことで
今年が千年紀となります
長くなりましたがこのように解釈され
千年紀が決められ所以をお話しいただきました。
この宴のエピソードもお話しいただき
公任の「ここにいますか」との問いかけに
紫式部は沈黙を保ったそうです。
紫式部は当然この宴の席にもいたのですが、
目立つのは良いことではないと、
その価値観と美意識を貫いたそうです。
もし同じ頃に活躍した枕草子の作者
清少納言だったら、きっと手を挙げていたでしょうとのことでした。
雄弁は銀・沈黙は金 といったところでしょうか・・・
長くなりまして申し訳ございません
源氏物語のエピソードのみで、
タイトルのお話しまでには至りませんでした。
つづく??