カキツバタ(最終ご案内)

例年より約一週間遅れて本年は6日に開花が確認されたカキツバタですが
二番花も終わりを迎えようとしております

 

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このところは好天に恵まれておりますが、
例年でしたら汗ばむ陽気をカキツバタの紫紺がクールダウンさせてくれる、そんな関係だと思います。

3週間弱ほど見て参りましたが、やはり一番花が咲きそろう頃が最もきれいです。
本ブログで 5月12日の頃です。
どうもありがとうございました。

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うなぎ八幡巻き

5月に入り新牛蒡が出回ると、八幡巻きの仕込みに取りかかります

八幡巻きとは、・・・
葵祭と並ぶ勅祭が行われる石清水八幡宮のある八幡市で、牛蒡が名産だったことから八幡の名物になったそうです。淀川と木津川が合流するこの辺りは、土地も肥沃でよく育ったそうです

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上のゴボウは徳島県名西郡石井町で穫れる,
サラダゴボウと呼ばれる収穫までが90日ほどの若いゴボウです。

皮の近くに旨味と香りがあるため、皮はむかずに太いところに包丁をいれ8本くらいに割きます。
牛蒡は米ヌカと酢を入れて予め湯がくのですが、このときの堅さがポイントとなります。

歯ごたえが牛蒡の一つの醍醐味ですが、固すぎると歯が立ちません。
逆に柔らかくしすぎると、うなぎを巻く際に切れてしまい使い物にならなくなります。
一時たりとも気が抜けない瞬間です。

 

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湯がいた牛蒡を二つにわたしたウナギを結び、巻いていきます。

 

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ほどよいしゃきしゃきとした歯ごたえは、相伝の焼きダレをからめたうなぎとの相性が抜群です。

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天候不順とカキツバタ

カキツバタ

このまま梅雨入りかとの記事がちらほら見受けられ、
上賀茂も夜にもなれば肌寒く、五月晴れはどこに行ったんだろうとおもう天候不順ですが少し調べてみると、・・・
日照時間は平年の60%ほどで、5月に入り快晴だった日は僅か2日だったそうです。
後半に向け五月晴れの日があればいいなと思います。
野菜の生育にも影響が出始めているとか・・賀茂茄子はじめ数々の夏野菜の成長が心配されます。

 

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大田神社のカキツバタは、二番花がきれいに咲いています。
最初に咲いた花が枯れたまま引っ付いているので、一面の紫紺とはいきません
でもまだしばらくは楽しめそうです。

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賀茂祭(葵祭)③

賀茂祭(葵祭)

平安絵巻さながらの行列で知られる葵祭ですが、
この行列を路頭の儀とされております。
そして天皇陛下が賀茂の大神さまに
国家繁栄・国民安泰を願われる神社内の儀式が
社頭の儀です

これに先立ち、本殿祭を午前中に行い勅使の到着を待ちます

午後4時過ぎに一の鳥居前に行列が到着したのち、
斎王代以下女人列は陪従(べいじゅう)の雅楽の音を先頭に、
二の鳥居内斎王代幄へ入ります

 

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勅使は修祓の後、橋殿に昇殿して御祭文を大神様にに奏上します。
この御祭文は、天皇陛下が国家繁栄・国民安泰を賀茂の神に祈られるもので、紅の鳥子紙が用いられます。
伊勢神宮では縹色(薄い藍色)、春日・石清水など他の勅使参向の神社には黄色が用いられます

 

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次に馬寮使御馬を牽き神覧の後、舞人・陪従が東游を奏します。

東游は、ご神慮を和め奉るために、駿河舞と求子舞を舞い、陪従は歌を唱えます。
東国の民間歌舞であったものが、都に伝わり宮中に取り入れられたため、東游といわれております

 

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最後に走馬が行われます。
これは賀茂祭始まりのご神託による儀式で、馬数頭が参道を一の鳥居から二の鳥居まで一頭ずつ走ります。

全ての儀式が終わるのは6時半頃で、長い一日が終わりました
今年はお天気で、無事全ての祭儀が済まれました
あとは17日の献茶式に続きます。

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賀茂祭(葵祭)②

5月15日の葵祭の名でしられる賀茂祭ですが、
今日はその行列 路頭の儀 についてご紹介いたします

午前10時半、約500名と牛馬40頭でなる約800メーターの行列が京都御所建礼門を出発、行列は丸太町を東に向かい、河原町通を北上したのち下鴨神社に正午前に到着します。

行列を騎馬にて先導する乗尻(のりじり)が露払いをします。烏帽子姿の乗尻は、5日に行われた上賀茂神社競馬会の騎手と同じ方が奉仕されます。

 

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行列は大きく分けて、乗尻、警衛をになう検非違使庁の列、宝物の管理をする内蔵寮(くらりょう)、ヒロイン斎王代を取り巻く女人列、そして行列中最高位の勅使を中心とする勅使舞人陪従の列からなります。(陪従・べいじゅう 雅楽をそうする武官のことです)

写真は腰輿(およよ)に乗った斎王代です。かつては未婚の内親王が斎王となっておられましたが、現在では京都在住の未婚の女性から選ばれます。

 

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この雅やかな列が通過するのには1時間ほどかかりますから、ゆっくりとした足取りで進みます。

 

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下鴨神社を出た一行は、北大路通を西にとり、緑まぶしい新緑の賀茂街道を北進し、上賀茂神社に至ります。

行列到着後に上賀茂神社で行われる社頭の儀を拝観するには、ちょうど北山通辺りで行列を見学後、神社に向かわれると二度ご覧頂けると思います。

五山の送り火のひとつ舟形をバックに斎王代は御園橋を渡り、上賀茂神社へ到着します

 

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次は上賀茂神社で行われる社頭の儀をご紹介したいと思います
              ありがとうございました

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賀茂祭

 5月15日は賀茂祭(葵祭)です
 まずは成り立ちからご紹介いたします

 賀茂祭は祭儀に関わる全ての人々、社殿の御簾また牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから「葵祭」として知られております。

 

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 賀茂旧記に「吾に逢わんとすれば奥山の賢木を取りて阿礼を立て、種々の綵色を飾り、又、葵楓の鬘を造りて厳しく飾れ」 とのあり、その神託により毎年賀茂祭に当たり葵桂を神前に供しているとあります

 6世紀・古墳時代後期に日本国中、風水害により甚大な被害を受け、国民の窮状がひどかったために、勅命により卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせたところ、賀茂大神の祟りであるということで四月中酉(旧暦)を選び、神託に基づき祭を行ったところ、作物は実り天下太平になったと伝えられております。
 
 その後、奈良時代には毎年、国司が祭の場に臨んでこれを検察するようにと元和天皇が勅せられました。ちょうど日本初の流通貨幣として知られる和同開珎が発行された頃です。
 
 約100年後、平安遷都をされた桓武天皇の長男である平城天皇が勅祭(勅命にして行われる祭祀)として賀茂祭を始められ、続く嵯峨天皇ころに伊勢神宮の斎宮の制に准ぜられ、斎院(斎王)を奉られ、祭に奉仕されるようになりました。

 そして平安時代中期、貞観の治で知られる清和天皇の御代に勅祭賀茂祭の儀式次第が定められました。

 また源氏物語の「葵」の巻では、賀茂祭の折に、源氏の正妻・葵の上の一行と、六条御息所は見物場所をめぐって車争いをしたと、紫式部は綴っております。この時代の日記・書物に賀茂祭をただ「祭」とのみ記したのは、祭儀の行列がいかに盛大であったかを物語っております。 
 
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御禊(ぎょけい)

5月12日、上賀茂神社では賀茂祭の斎行にさきだち、橋殿にて身を清めます

 

 

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御手洗川の上に架かる橋殿の上に、宮司さんたちが着座し
ひとがたに息を吹きかけ、後ろに投げて御手洗川に流し
身を清める禊(みそぎ)が行われました

 

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御手洗川を流れたひとがたは、社家町を流れる明神川をただよい、
やがて早苗を潤す水とともに上賀茂の田へと行き着くことでしょう。

 

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社殿には御簾がかけられ、桂の葉が飾られております。
すっかり祭の用意が調えられ、15日の社頭の儀を待つばかりとなっております。

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カキツバタ

ここ2,3日は少し肌寒い日が続いておりました上賀茂ですが
大田神社澤はカキツバタで、どんどん紫色がが濃くなってきております

 

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先日大田神社さんの神職とお話をする機会があったのですが、このカキツバタの開花条件は温度よりも日照時間だとおっしゃっておりました
例年なら大型連休に咲いているものの、今年は4月の長雨のせいで開花が遅れ連休開けとなったため、カキツバタ目当てに遠方よりいらした参拝客の皆さんが、残念そうに帰られたとのことでした。

早い花ではもう二番花が咲いております

 

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(下は大田ノ沢の説明文を写しました)

神山や大田ノ沢のかきつばた
ふかきたのみは いろにみゆらむ
(藤原 俊成 卿 )
 上賀茂神社の御降臨山である神山の近くにある大田神社のカキツバタに(人々が)よくよくお願いする恋事(いろ)はこの花の色のように何と一塗(一色)で美しく可憐なのだろうか
 と歌われているように既に平安時代には名高い花として知られておりました。
この池の広さは約二千㎡でカキツバタは五月上旬より紫一色の花を咲き始め下旬まで沢一面に咲きます。その姿は実に幽玄可憐で見に来る人々を魅了します。
ここのかきつばたは古代から咲き続けた花として又、深泥ヶ池同様古代京都がまだ湖であった頃の面影を残す泥炭地の一つとして昭和14年に国の天然記念物に指定されております。
 かきつばたは、シベリア、サハリン千島及び中国、朝鮮と我が国に自生する植物で、アヤメ科アヤメ属に分けられ、かきつばた、あやめ、しょうぶの相違は、かきつばたが水を好むのに対しあやめは陸を好み,かきつばたが五月に咲くのに対ししょうぶは六月に花をつけます。
 かきつばたの葉は60~70㎝位になり、花茎野崎に直径12センチ程度の濃紺色の6枚の花びらを垂らせます。日本での北限は北海道、南限は長崎県です。
 大田ノ沢には古くからの言い伝えがあり雲ヶ畑の池とそこでつながっており枯れたことがないと言われておりましたが、旱魃の時は沢の水が枯れ井戸水や水道水により旱魃から守ってきました。又ここのかきつばたは「池に手を入れると手が腐る」と言い、人が花を持ち帰るのを戒めてまいりました。
 大田ノ沢は毎年、冬場に枯れ草や落ち葉などの清掃し寒施肥をしてます。この費用の一部は京都賀茂ライオンズクラブのご奉仕によって行われております。
 このように大田ノ沢のカキツバタは、遠い遠い昔より多くの人々に愛でられた美しい花でした。これから後も変わることなく愛でられる花として皆様のご協力のもと守っていけなければならないとおもっております
賀茂別雷神社摂社 大田神社
京都賀茂ライオンズクラブ

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宮崎マンゴ

トロピカルフルーツの女王として名高い宮崎の完熟マンゴが出始めました
どのようにして完熟させるかというと・・・
収穫前に樹になったままのマンゴ果実にネットをかぶせて、自然にポトリと落ちるのを待つのです。
つまりはさみを使わず自然に落果するのをネットで受け止めて収穫します。

 

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召し上がる前にさっと冷やして、切り分けます

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南国の香りが漂います

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カキツバタ開花

3日にはまだ咲いていなかったカキツバタが開花いたしました。
今年は4月が寒かったので、開花は少し遅れたようです。
約2000㎡の沢に何本のカキツバタがあるのでしょうか。
風に揺れる青い葉と紫紺の花が清楚な雰囲気で、世俗を忘れさせてくれます。

 

 

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大田神社の帰り道、西に少し行くと山すそに藤が咲いております。
公園の藤棚の花とは違い、山藤は香り高く蜜を求めてたくさんの虫が集まっていました。

 

 

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葵祭の頃が最も見頃ですが、2番花が咲く5月下旬まで楽しめます。
汗ばむ陽気にカキツバタの紫紺色に清涼を求め、たくさんの観光客が社家町を往来されます。

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